まえがき
こんにちは。はじめまして。Tapioca Milk Recordsといいます。
みなさんは、インタビュー記事の価値について深く考えたことはありますか?
これは個人の考え方ですが、私はインタビュー記事はただやればいいものだとは思っていません。
なぜなら、インタビュー記事には「アーティストとリスナーさんの距離を埋めるもの」そして「人の本来持っている魅力を、文章でかたちにして発信する」という役割があると考えているからです。
さらにどの業界においても勢いがあったり抜きんでている人は、世間とは少しズレた経験をしていたり、個性的な考え方を持ったりしていますよね。
そしてその「想い」の部分を知ったとき、前よりもその人が作った作品を好きになっているし、仮に好きまではいかなかったとしても名前くらいは覚えていることもあるのではないでしょうか。
いっぽう、多くの音楽メディアを見てみると。アーティストへのインタビューはリリースするタイミングに合わせた心の動きや、作品そのものに焦点を当てているものも多いし、専門用語も結構多いですよね。
私にとっては、そういったタイプのインタビュー記事が頭に入ってこないことが多いです(ごめんなさい)
とはいえ、そういったものがビジネスとしてきちんと成立している以上、私の考え方は主流ではないのでしょう。
たとえ主流ではなくても、書くなら絶対最後まで読まれたい。読みやすいと思われたい。そういう志をもって少しずつ歩んできたところ、読者様のインタビュー記事への平均滞在時間は5分以上。そして、読みやすい!おもしろい!放っておけない!とおほめ頂く機会も増えました。
そのたびに、そういう記事が書けて本当に良かったぁ…と思います。
そして今は、私の切り口がとくに主流じゃなくても良いし、他人にどう思われてもいいわ~と腹を括って、自分が良いと思ったことをただ真剣にやっています。
ロックに携わるひとりの人間として。
そんな私の8か月の歩みをお伝えしていきます。
- まえがき
- はじめに-誰かの背中を押せたらいいな
- STEP1:普通の私の、ちょっと普通じゃないこと?
- STEP2:疑問をもつ
- STEP3 ひとまず行動を起こしてみる
- STEP4:数を打つ
- STEP5:アドバイスを取り入れてみる
はじめに-誰かの背中を押せたらいいな
改めまして、こんにちは!Tapioca Milk Recordsです。
本日ついに当媒体のインタビュー記事が7本目となりました。
と、しれっと始めてみたものの、書いた本人としてはマジか…意外…奇跡…と思っています。なぜなら、この活動をはじめたばかりのとき、私は音楽メディアで勤務した経験もないただの事務OLのような存在だったからです。
通常、事務OLに音楽アーティストへのインタビューをするというチャンスは滅多にありません。
「ずいぶん邪道を歩いてきたものだな」と思います。
しかし邪道とはいえ決して偶然チャンスが降ってきたわけではありませんし、私は常に「どうやったらここから状況をひっくり返すことができるか」という視点をもって行動してきました。
こういった行動を起こすことは、私にとっては普通ですが周りの方からするとちょっと異常なようです。
だから、今回はなぜ一般市民の私が、海外アーティストにインタビューができたのか?という道のりをすべて公開します。
「メディア」や側面からシーンや時代を支えてきた偉大な先人たちに比べてみれば、私の残した結果は小さくまだまだ勉強中の身です。しかし、そんな私が言うことだからこそ「今日から使えるアイディア」があるかもしれないからです。
この記事が、何かをゼロから始めようと思う方のお役に立てれば幸いです。
STEP1:普通の私の、ちょっと普通じゃないこと?
(好きな麺類はうどんです。)
長年の読者はご存知のことかと思うが、私は音楽と旅行とグルメが好きでちょっと病弱な普通の人である。外見に個性も無いし、街を歩いていてもタピレコの中の人とはバレない自信はある。
ひとつ、他人よりも好きなことがあるとすれば文章を読むことだ。
暇なときは他人が書いた文章を読むことに時間を使っていた。実家の本棚には両親が集めた本があり、まったく退屈しなかった。中学生のころ、家にインターネット回線が来てからはインターネットで読めるテキストをたくさん読んだ。
会社員時代、最終的に「文章が良い」とおほめ頂けるようになったのもこれまでに吸収した文章量が多いからかもしれない。
でもまさか、音楽アーティストへインタビューができる側になるとは思っていなかったけれど。
STEP2:疑問をもつ
(集めたCDの一部。一枚だけ邦楽のCDがある。)
台湾のインディーズバンドとの出会い
思い返せば2016年。
とある台湾のインディーズアーティストにハマったことがきっかけで、当媒体ははじまった。
私がそれまで知っていた台湾の音楽といえばC-POPが中心だった。
もちろんポップスも好きだが、台湾にもこんな音楽性のバンドがあるなんて…と衝撃を受けたのだ。
そのバンドを知ってからすぐに、台湾の友人にお願いして当時発売されたばかりのアルバムを送ってもらい、こちらからはお礼に野球グッズを送った。
そんなアーティストがはじめてのワールドツアーを行うと知ったとき、来日ライブにかなり期待した。台湾と日本は近い国だ。 一回くらいは立ち寄ってくれるのでは?と。
でもその時、来日ライブは行われなかった。だから台北までライブを観に行くことにした。
もちろん日本でライブをすることが彼らにとって良いこととは限らない。でももし次回、そんな機会が訪れるとしたら、かならず役に立ちたいと思っていたのだ。おいしいものを差し入れするとか。
ただ、どうして来てくれなかったのかな?という疑問をずっと持っていた。
そのアーティストが本日インタビューを公開した「No Party For Cao Dong」です。
どうして伝わっていないんだろう?台湾には良いバンドがいるのに。
No Party For Cao Dongとの衝撃的な出会いを果たしたあと、ほかの台湾のインディーズバンドのことも知るにつれてどんどん台湾のロックにハマっていった。
ただ少し残念だったのは「意外と台湾のインディーズバンドについて騒いでいる人が少ない」ということだった。実際、この活動をはじめる以前からの友達で台湾のインディーズバンドが好きな人はいない。
多くの日本の方にとって、台湾のアーティストはまだ身近な存在とは言えないだろう。(私にとっては超身近な存在です。)
もちろん、台湾の音楽が好きなのは「好み」なので人に押し付けることはできない。
それにしても。日本や欧米のアーティストが取り上げられる機会と比べれば、いくらなんでも不公平すぎ…!知られる機会が不平等すぎ…!さすがにもったいなさすぎ…!と感じていた。
でも会社員経験を通して持っていた感覚は、現状に文句を言い続けるよりも、自分から前向きな行動をさっさと起こした方が、生み出すものが多いということだった。
STEP3 ひとまず行動を起こしてみる
(おすすめ台湾グルメ?)
何が必要か考える
「音楽を伝える」という視点で見ると、やはり必要なのはメディアの力だと思う。
しかし、いま台湾のロック音楽の情報発信市場を見ると、日本のテレビへ出演するのはほんの一握り。
そして、インターネット上では、ファンブログはすごく多い…!(私はファンブログを運営している先輩たちからたくさんの情報を得ている。)
それにしてもやはり、アジアのインディーズバンドの情報は少ないと思っていた。そこを補っていけば、なんとかなるのでは…と思ったのだ。
ただメーカーに関係のない人が「ものづくりの仕組み」についてほとんど知らないように、タピレコをはじめるまでの私は音楽業界というのが一体どういう仕組みで成り立っているかもわからなかった。
だからまずはできることからやってみようと思った。
1円ももらえなくてもやりたいことは何か
台湾の音楽を日本の人に広めるにあたり、何が必要か考えてみた。
(1)音楽業界で一旗あげるための会社をつくる
(2)タレントになって知名度が上がったあとにSNSでアピールする
(3)インターネットで記事を書く
この3つが思いついたが、会社員の時点で(1)は無し。(2)も厳しい。自分にタレント性がないこととはよくわかっている。
そして(3)。これだったら、まだありえる。なぜなら、インターネットは今皆が使っているし、仕事との両立も可能だからだ。文章を書くのも好きだ。いくらでも集中できる。
そこでまずは、それまでに書いている雑記ブログのタイトルを変更することにしたのだ。
音楽紹介ブロガーになった
いまでこそTapioca Milk Recordsを名乗りさも「アジアの音楽紹介媒体です」という顔をしているが、以前は「ぐーちゃんの自習室」というただの雑記ブログだった。まずはそのタイトルを変更することにした。
せっかくなら日本の人にも台湾の人にも台湾好きとわかってもらえて
キャッチーで私も好きになれる名前がいい!と思っていた。
台湾といえば…??タピオカミルクティー!
音楽といえば…??レコード!
少し悩んだ末、Tapioca Milk Recordsという名前に決め、友人にロゴも書いてもらった。
ただまあ、Recordsという名前にしたのは、ちょっとミスったかもと思っている。これは異業界出身あるあるなんだけど、専門用語を勘違いしていた。
Records=音楽をオススメしてくれる場所、と広くとらえていた。
このせいで、いろんな人から「レーベル立ち上げたの?」と聞かれるが、普通に情報発信媒体で~す。(勘違いさせちゃった皆さん、ごめんなさい……)
でも、Recordという動詞にはもともと「記録する」っていう意味があるし、情報発信だって記録だもん。良いよね。めちゃ屁理屈だけど。
STEP4:数を打つ
(横浜での一枚)
記事を書くとなぜか感謝された
それからは、とにかく、台湾の音楽が好きだとわかってもらえるように記事を更新しまくった。特定のアーティストだけではなく、さまざまなアーティストの紹介記事を書いていった。
タイトルにつけるキャッチコピーなども考え抜いたし、歌詞の翻訳をしてみたりなど、とにかく日本のリスナーさんにいかに親しみを持ってもらうか、という視点で記事を書いていた。
今読み返してみればとても未熟なのだけど、当時は何も目に入らず、聞こえないくらい真剣だった。
そうしていくうちに、なぜかアーティストさん本人の目に留まって、Facebookで記事が2桁回数シェアされる…なんてこともあり。少しずつ名前が広まっていった。
そこでわかったのは、紹介記事を書くと「応援している」ことになり運が良ければ「感謝される」ということだった。
1円ももらえなくてもやりたいことで人に感謝されるなんてすごく意外で、奇跡だと思った。
つまづいた。
記事を作成していく段階で、せっかくだから、Facebookなどから画像を借りたいな…と思ったりこれはどうしてこうなんだろう…?と思うことが多々あったのだけど、どうやって解決すればいいのか、皆目見当がつかなかった。
私は台湾の音楽関係者に知り合いもいなかったし、中国語も得意なわけではない。だけど、本人に無断で画像を借りるのはモラルに反する。
というわけで、ここではじめて台湾のアーティスト本人へ直接連絡を取ろうと思った。
Facebookメッセンジャーを立ち上げて、私は台湾の音楽が好きなこと、日本の人にもっと知ってもらいたいと思っていること、そして画像を使いたいことなどを書いた。中国語まじりの英語だったと思う。
本来私は、あまり積極的なほうじゃないし、基本ビビりだし、心臓がバクバクして、ハラハラして「返事が来なかったら、ちょー恥ずかしいよ…はあ無理」ととにかく、テンパっていた。
「こんなに恥ずかしい思いをするくらいならいっそ送らないほうが良いのでは」とまで思い詰めていた。そこで一旦冷静になって、失敗と行動のリスクを天秤にかけてみることにしたんだ。
失敗が怖いときは、リスクを天秤にかける
そこで私は失敗のリスクと、行動を起こさないリスクを天秤にかけました。
ぐーちゃんよ、ぐーちゃんよ。
ここであなたがネットで騒がなかったら、このバンドについてファン目線で騒ぐ人が
一人もいなくなっちゃう。
それでいいの?
それはよくない。ではなぜこんなにためらっているのだろうか。
そう自分自身に聞いてみた時、私は単純に失敗することが恥ずかしいだけだと気づいた。
そして、仮に返事が来なかったところで、お金を失うわけでもなければ、名誉が傷つくわけではない。そもそも何もなかったんだから。だから恥をしのんでひとまず連絡を取ってみることにした。
すると、アーティスト側からとても親切で丁寧な返事をもらえた。その時のほっとした気持ちを今でも思い出せる。
そんな調子で、アーティストとの交流をしながら、おすすめ記事をどんどんアップロードしていった。
でもやっぱり、ずっと同じことをしているわけにもいかないと思ったんだ。
STEP5:アドバイスを取り入れてみる
(タピレコを作り上げるスタメンたち)
プライベートとタピレコ
このTapioca Milk RecordsというWebサイトは、実は以前お世話になっていた上司や、家族や長年の友人のほとんどが知っていて、プライベートの方のサポートを受けながら運営している。
何かを始めると、周りが見えなくなる性格をもつ私ではあるが、いつも周りにいてくれる人たちのサポートやアドバイスを取り入れることで、ここまでやってこれたと思う。
その中でも裏編集長と言っても差し支えないくらいの存在のサトーくんという人がいる。
ちなみに、サトーくんはNo Party For Cao Dong(草東沒有派對)のことを「くさひがしさん」と呼ぶレベルのリテラシーの持ち主なんだけど、とにかく、Webサイトとしては次にこうすべき。これはしちゃだめ。などの…いわゆる「左脳」の部分を補ってくれている。
「自己発信したらいいと思う」
私は本来自己発信が得意ではない。自己発信するくらいなら、一本でも多く音楽の記事を載せたいと思うからだ。しかしそこで「サトーくん」がこれまでの自分のストーリーを書いてみたら?と言ってくれた。
え、みんな私にそこまで興味ないじゃろう…??とまあでもやってみるか、と「タピオカこぼれ話シリーズ」を書いた。すると、共感してくれたり、感想を寄せたりしてくれる読者様が現れ始めた。
「インタビュー記事をやるべき」
それから、これはサトー君だけではないのだけど、インタビュー記事をやったらいいと言う人たちが現れた。
ただその時は、アーティストさんへのインタビューは考えていなかった(やりたくないのではなく、思いつきもしなかった。その発想。というレベル)
だから最初は「私は人付き合いが苦手だしインタビューはちょっと…」とモニョモニョ言い訳していたけど、なんとなく、心にひっかかるものがあって、ぼんやりといつかはやることになるのかもな、と思っていた。
そして、このタイミングで転機が訪れたんだ。
(長いので後編に続く。)