台湾男子に、立ち直らせてもらった日の火鍋<タピオカこぼれ話 2nd Season>

台湾男子に、立ち直らせてもらった日の火鍋

 

前回までのあらすじ(台湾で、返せない恩を受けた日の夜より

2018年、初秋。台湾の編集者 シーン・リーさんの好意に甘えることで、「好きなアーティストのインタビュー記事を書く」という夢を叶えた私は、燃え尽きていた。

 

タピオカこぼれ話 2nd SEASON

「わたしを成長させてくれた

4人の台湾音楽メディア人の話」

ーVol.3 台湾男子に、立ち直らせてもらった日の火鍋ー

Brien Johnとの出会い

 

 

 

 

「台湾の男性はエビの殻をむいてくれるって噂で聞いたけど」

2018年、秋ごろの話である。

 

ある日Facebookを開くと、新着通知が、多くの友達申請で埋め尽くされていた。30人以上だったろうか?送信元のほとんどが、台湾人のようだ。

 

こんなことは、まるで初めてだったので、私は舞い上がった。

 

「ついにモテ期来たわ~。台湾の男性って、食事のとき、エビの殻を剥いてくれるって聞いたけど、期待して良いのかな?それとも都市伝説?

 

…ってそんなわけあるかーい!!

 

一旦冷静になって、タイムラインを追ってみると、前回お世話になった編集者のシーン・リーさんが、私について、Facebookの投稿で紹介してくれたようだ。

 

そこには、「この日本人はまじめで、心を込めて台湾音楽を紹介しているんだよ。みんな、よろしく!」と書かれ(意訳)、大きな反響を集めていた。

  

その投稿が引き金となり、多くの台湾の方がフレンドリクエストをくれた、というのが事の経緯。なんとありがたいことだろう。どんどん承認していく。(調子に乗ってごめんなさい。エビの殻は自分で剥きます。

 

するとまもなく、一人の台湾人から長文のメッセージが届いたのである。

 

長文のメッセージ

差出人:Brien John
はじめまして、僕は台湾アーティストの海外展開をサポートするプラットフォームで働いているBrien Johnです。Tapioca Milk Recordsと協力したいです。

※補足※ 台湾など中華圏では、英語の授業でイングリッシュネームを作るなどして、SNSなどに表示する文化があります。

 

そんな書き出しではじまるメッセージの用件は、「台湾アーティストの海外展開をするにあたり、知恵を貸してほしい」とのこと。その代わり、私のやりたいことにも協力する旨が、丁寧な日本語で綴られていた。

 

「ど、どうしよう…」

 

私はうろたえた。というのも当時、最大の目標は「草東沒有派對のインタビューを書くこと」であり、その後はまるで白紙。燃え尽きかけていた。

 

加えて、今だから言えるけど、それまで活動してきたなかで、台湾音楽にかかわる日本人の関係者からよく思ってもらえないこともあった。

 

ぶっちゃけ、日本人に意地悪されていた

 

たとえば、台湾在住の個人系インディーズレーベルオーナーから、Twitterで遠回しに意地悪を言われたことがあった。

 

また私の記事に対して、台湾のポップス界で活躍する古参の日本人ミュージシャンに根拠のない批判をされたりもした。こちらからは真摯に対応し連絡したが、無視された。

 

「新参者を攻撃するとか、この界隈ヤバ。それともこれがスタンダードなのかなあ。だとしたら尚更ヤバ。」

 

私はすごく傷ついていた。台湾音楽が好きな友人たちの励ましがあったから、なんとか立っていられた。

 

これまでは、そのような苦労は全て、「草東沒有派對のインタビューを書く」という夢を叶えるための代償として見合っていたし、我慢して、引き受けてきた。でも、今後、もしそんな目にあったら、好きな音楽を、嫌いになってしまうかもしれない……。

 

Brienさんはきっと良い人だろう。しかし、そのときの私には、新しいことを始めるエネルギーはなかった。

 

 

 

叶えたい夢があるとするならば

 

その状況の中で、もしも、叶えたい夢があるとするなら「ライターの仕事をする」。文章を書くことが好きだからだ。そのためなら頑張れるかもしれない。

 

気持ちを整理すると、

「Tapioca Milk Recordsは私がひとりで始めた活動なので、申し訳ないが、いますぐに具体的な協力ができなさそうです」

「取材に応じてくれたアーティスト達には本当に感謝しています」

「やりたいことはほとんど叶えたけど、今後は文章を書くことが仕事になったらうれしいです」と綴り、Brienさんにメッセージを返信した。

 

そして、いつも通りの日常がはじまった。

 

Eat first, Talk later.

Brienと周夫妻と初対面の日の火鍋

(エビの殻は自分で剥きました)

 

実はこのやりとりをした一か月後に、プライベートで台湾に行く用事があり、そこでBrienさんともと会う約束を取り付けていた。

 

台北市に大雨の降った、少し肌寒い11月初旬。Brienさんは、永康街にある火鍋の老舗を予約してくれて、同僚の周さん、そして周さんの奥さんと一緒に、白菜鍋をつつくことになった。

 

Brienさんは、私がこれまで出会ったどの台湾人とも雰囲気が違い、メガネをかけ、肌はやや白く、「インテリ」のオーラを発している。

 

ちょっと気まずさを感じたので、火鍋のオーダーもそこそこに、今、日本のインターネットはこんな感じで…と話をはじめると、Brienさんは相槌のかわりに、こう言った。

 

「Eat First, Talk later」(先に食べて、仕事の話はあとでしましょう)

 「あっハーイ」

 

台湾人の先輩がいたら、こんなかんじだろうか。もぐもぐもぐ。シャキシャキシャキ。

 

 

 

Brienさんは、人の乗せ方が上手いリーダー

すっかりおなかがいっぱいになると、Brien"先輩"はこう切り出した。

 

「来年は台湾のアーティストの日本プロモーションを頑張りたいと思っています。だから、中村さんの力が必要です。」

 

心の準備は、全くできていなかった※。 

※補足※台湾には、前触れ無しに大きな話が舞い込んでくる文化があります。

 

これは大ごとになったぞ、と一瞬躊躇したが、考えるよりも先に、閃いたプランを話していた。



絶対にできる、と約束はできないけれど、こんなアイディアはいかがでしょう?

 

 私達で協力して、台湾音楽にまつわるおもしろい企画を立てるのです。

 

 その企画を編集部の方に受け入れてもらえたら、台湾音楽の記事がインターネットへ掲載できるでしょう。私はライティングを担当します。いかがでしょう?」

 

この提案を気に入ってくれたようで、初対面のパーティーで企画書をつくるという奇妙な会議がはじまった。

 

議論はじめると、Brienさんも周さんも、とにかく優秀というのが分かった。

 

「Brienはどういう企画にしたい?」と訊けば、「台湾音楽の『今』が伝わるものがいいと思う」とすぐにアイディアが出てきた。


「好きなバンドは?私は若手ならZaniに注目してる」と聞くと、「えー、マジで?Zaniは若すぎない?」と意見が出てきた。そこで私はむきになって、「彼ら、ぜったい来るよ!」と反論した。

 

 加えてBrienのすごいところは、「他人を乗せて、仕事させて、でも利害の線引きはしっかりする」のがすごーーーく上手ということ。(だからリーダーなんだろうけど。)

 

しかも、それを外国人相手にやってみせるから、尚更スゴイのである。

 

つまりこれが、ここ台北における「リーダーの器」なんだろうなあ…と、台湾ビジネスシーンを垣間見たことにも、やや興奮していた。

 

ーー人間関係で思いつめてた私が解放されて、ノリノリで、台湾のお兄さんたちと企画を立てるなんて、前日までの私には想像できなかったーー

 

気分は、とっくに切り替わっていた。

 

越境リモートワークプロジェクト

帰国してから、3人で作った企画書を、売り込み先の雰囲気やコンセプトに合うよう、何パターンかのアレンジを加える作業がはじまった。

 

企画書をお送りしたメディアの編集部の方はとても歓迎してくれたので、本当に安心した。あの…日ごろお世話になっている編集部様、担当者様、本当にありがとうございます…

 

それから色んなプロセスがあり、本格的に始動するまでには時間が空いたけれど、Brienの勤務先ーーつまり、Taiwan Beatsブランドーーと私のプロジェクトは、こんな形で始めることができた。

 

qetic.jp

 

qetic.jp

 

もちろん、企画はこれで終わりではなく、もっとたくさんのコンテンツを送り出すべく、水面下で活動している。

 

起承転結は、自分次第

 

Brienとは、一緒のプロジェクトに関わっている以上、「ただの仲良し」というわけにはいかず、色々とディスカッションもする。Brienは私を「スーパー慎重な日本人」と言う(笑)一方私は、「Brienは優秀だけど、ぶっちゃけ頑固」だと思っている(笑)

 

でも、台湾の方と一緒に何かを作るというのは、すごく刺激的で、面白い。こんなことが人生に起こるとは、思わなかった。

 

たしかに、Brienたちに出会う前は、嫌な思いもずいぶんした。それは、起承転結の「起」だっただけの話。

 

良い結果さえ出せれば、ツラい思い出は、ただのプロローグだ。

 

これからだって、何が起こるかわからない。でも、せっかく「縁」がつながって、チームになれた台湾人たちと一緒に、もっと良いものが創れるよう、取り組んでいきたいと思う。

 

だって、メンタルを立ち直らせてもらったから。

 

ーー「台湾人との縁」といえば、最後に、不思議な縁について話をしたいと思う。

 

次回は最終回!

最終回「やっぱり台湾人の不思議な縁の中にいる話(仮)」は7月28日に公開します!

 

 

 

 

関連記事:当連載の第一話です。

タピオカこぼれ話 Second Season:人との出会いが「才能」を「持ち札」に変える

 

おすすめ記事:当連載の最初のシーズンです。

タピオカこぼれ話♪地方在住、高卒ニートはどうして台湾音楽を好きになったのか?