あらすじ!(前回)
「顔も名前も知らない、Twitterで知り合った台湾の知り合いへ翻訳のお仕事をお願いする」。
時代と常識の半歩先を行った記事づくりを展開しながら見えてきたのは、外国の方を差別していた、未成熟な自分の姿だった。
「ダメな自分を反省しながらでも、前に進める。だから、もっと前進してみよう」
そんな私の次の夢は、最愛のバンド「草東沒有派對」のインタビューを書ける人になること。そして、その日が来るまで、コツコツと記事づくりを頑張るという選択だった。
すると、そのチャンスは意外と早く訪れたのであるーーーー
タピオカこぼれ話 2nd SEASON
「わたしを成長させてくれた
4人の台湾音楽メディア人の話」
ーVol 2 「台湾で、返せない恩を受けた日の夜」ー
編集者 シーン・リーさんとの出会い
- #日本人トップオタ上等
- 台湾メディアで一番目に私を見つけてくれた編集者、シーン・リーさん
- ありがたさすぎる申し出
- 「台湾人が親切にしてくれた、ラッキー♪」で終わらせたくない
- 焼き肉、寿司、さしみ…
- せめて関わってよかったと思ってほしいから
- まだ見つからない、「恩返し」の答え
- <次回へ続く>
#日本人トップオタ上等
「サマーソニックに、草東沒有派對 No Party For Cao Dongが出演する」
そんなニュースが飛び込んできたのは、2018年。初夏の朝だった。
草東沒有派對(No Party For Cao Dong)とは、現地で高い人気を誇る、台湾のインディー・ロックバンドだ。1000人キャパのライブハウスのチケットがいつも、発売後数秒で売り切れるという。
私は、彼らのファンになったことで、台北のライブハウスにひとりで遊びに行く、弾丸で台湾一人旅に行く…など、これまでにないくらい、行動力が爆上がりした。
これまでの人生で、影響を受けたアーティストは何人かいるけれど、草東沒有派對は別格の存在。
そんな私にとって、来日公演はインタビューを申し込むいい口実になる。ついに行動を起こすべきときが来たと、震えた。
といっても、この時点では、当然ながら、草東沒有派對 No Party For Cao Dongと私をつなぐものはない。
どうすれば、夢は叶うのだろうか…。
そこで思いついたのは、「台湾で行われるワンマンライブの会場に乗り込み、愛をプレゼンして、取材アポを取る。」という、ハチャメチャなアイディアだった。
この計画は、「めちゃくちゃうまくいく」か「ヤバい女としてマークされる」のどちらか。最悪、警察のお世話になることも想定に入れなければ…どうしよう。
私は過去に、台湾の警察官にナンパされた経験があることから、うまくいく可能性に賭けることにした。たとえ当時から体重が5キロ増えていたとしても。
台湾メディアで一番目に私を見つけてくれた編集者、シーン・リーさん
そう決心したとはいえ、「ライブ会場へ直接乗り込んで、アポを取るのは得策と言えるのか?」という、ささやかな疑問を解消するために、誰かに相談できたら…と思っていた。
そこで思い浮かんだのは、当時、台湾インディーズ系音楽メディアの「吹音楽 Streetvoice」で編集を担当していたシーン・リーさんの存在。
シーンさんと私は、Facebookをキッカケに知り合い、少しずつ交流を深めていた。
また偶然にも、シーンさんもわたしも、草東沒有派對のライブ前日に行われる台湾の音楽フェス「Wake Up Festival」に行く予定をしていて、「会えたら会いましょうね」と、話をしていたばかり。
つまり、私の作戦はこのようなものだ。
2018年6月28日 台湾フェス「Wake Up Festival」1日目。シーンさんからなんとかアドバイスをもらう
6月29日 草東没有派對 高雄ワンマンライブ。ここでインタビューアポを取る
(失敗したら高雄の名所「Love River 愛河」へ身を投げる)
うまくいくだろうか。
ありがたさすぎる申し出
(Wake Up Festivalでの一枚)
2018年6月28日、台湾の夏フェス Wake Up Festivalの1日目の夜。
暑い日だった。シーンさんと合流したのは、そろそろ22時になろうかという頃。
シーンさんは、Wake Up Festivalには仕事で来ていて、とてもお疲れだったにもかかわららず、嘉義グルメのお店で心からのおもてなしをしてくれた。
ご当地グルメのチーローハンを囲みながら、私は、平静を装って、
「実は、草東沒有派對にインタビューを申し込もうと思っているの。明日高雄のワンマンライブに行くから直接アポをとるつもり」と切り出した。
ーーー数秒の間があった。
無謀だから、やめておけ、と言われるだろうか…?
しかし、そこでシーンさんの口から出てきたのは、なんと、
「草東沒有派對には、以前インタビューをしたことがあるため、マネージャーさんと知り合いだから紹介するよ」と、協力を申し出る一言だった。
なんということでしょう。一生分の運を使い果たしたに違いない。
そして解散したあと、届いたメールには、
「インタビュー、OKだそうです。明日、ライブハウスで、マネージャーさんと打ち合わせしてね!」と書いてあった。
これから始まることへの期待と、シーンさんへの感謝で胸がいっぱいになり、あっという間に眠りに落ちた。
夢は、見なかった。
「台湾人が親切にしてくれた、ラッキー♪」で終わらせたくない
6月29日。
草東沒有派對のライブを堪能した後、シーンさんから指示してもらったとおり、ライブハウスの前でマネージャーさんと無事面会し、インタビュー企画書を無事、渡すことができた。
シーンさんのご紹介とはいえ、初対面の日本人という存在に警戒されているような雰囲気は感じたので、(直接乗り込まないでよかった…!紹介してもらってよかった…!)と改めて感じた。
そして、無事打ち合わせを終えてほっとしたのも束の間。「シーンさんにお礼をするには、どうすればいいのか…」と、新しい悩みが発生したのである。
焼き肉、寿司、さしみ…
今回、シーンさんは、大事な人脈を紹介してくれた。
実力もはっきりしない私に協力したところで、先のことなんて何もわからないのに。シーンさんは無償で協力してくれたんだ。
その行動が鮮やかすぎて、すぐには気づけなかったけど、彼が私にしてくれたのは、「これまでとは違う世界を見せてもらった」というレベル。
だから、何かしらの形でお礼や、恩返しがしたかった。むしろそうじゃないと、私の気が済まない。
とはいえ、私がシーンさんにできる「恩返し」といえば、せいぜい、日本料理(焼肉とか寿司とか刺し身?)をご馳走するくらいのアイディア。それで良いのだろうか…。
だとしたら、せめて「関わってよかった」と思ってほしい。だから今は、恩返しよりも、そのための成果を上げることに集中しよう。
せめて関わってよかったと思ってほしいから
ただ、どうすれば、「関わってよかった」と思ってもらえるのか?を考え始めたらキリがなかった。
何かひとつの物事を進めたり、人間関係を作っていくうえで、台湾と日本の文化は違うだろう。何が良いとされ、何がNGとされるのかも知らない。検索してもピンとこない。
一人で悩むスパイラルにはまってしまった。
たくさん考え尽くした上で至った結論は、「手を抜かずに仕事をすることで振り切る」。だって、全力で取り組んだ仕事で心を動かせないなんて、無能の証だから。
そこで私は、「良い」と思う行動を少しずつ積み重ねた。
たとえば、翻訳は、前回の記事作成でお世話になったカリンさんにお願いし、さらに台湾人の視点で、質問リストの整備も手伝ってもらった。
また進捗があるたびに、シーンさんと状況を共有することで、「ちゃんとやってますアピール」も欠かさずにした。
そんな報告をするたびに、シーンさんは「よかったね、連絡ありがとう」と声をかけてくれたので、「私は間違っていないんだ…!大丈夫なんだ…!」という証明のように感じて、安心して製作を進行できた。
まだ見つからない、「恩返し」の答え
そして、シーンさんと出会った夜から1.5か月後。予定通り、サマーソニックの1週間前に記事を公開した。
中文版
サマーソニック前後だけではない。記事を公開してからしばらくして、「彼らの日本語のインタビューが読めるなんて」という喜びの声を寄せていただいた。
シーンさんに「おかげさまで、無事記事を公開できました、ありがとう!!」と伝えると、「それは僕の力ではなく、あなたの実力です!」と言ってもらえた。
そんなシーンさんと接すると、私はますます、「恩を返す」ことについての正解がわからなくなった。
この原稿を書いている時点で、シーンさんと出会ってから約1年以上が経った。でも「これならシーンさんに恩を返せたぜ!」なんて思ったことはない。
だから、シーンさんと再会して、焼き肉かお寿司をご一緒できる日を楽しみにしている。もちろん、かわいい彼女さんも一緒に!
そういうわけで、夢はかなったわけだけど。やっぱり私は小さい存在で、シーンさんにも、台湾のメディア人たちにも、逆にしてもらっていることばかりだ。そう、あの日もそうだったーーーー
<次回へ続く>
次回、「台湾メディア人とチームを組んだ日のこと(仮)」は、6月23日に公開します。おたのしみに!
▼関連記事:2018年発行のタピオカこぼれ話 無印バージョンです。