必ず訪れる、思い通りにならない、理解できないとき。
私たちは行き詰っているのではなく、ただお互いを探しているだけなのかもしれませんね。總會有那些不順遂也無法理解的時刻,也許不是卡住了,只是我們還在尋找彼此。
(「⽔逆 Mercury Retrograde」のアルバムタグラインより引用、意訳私。)
羽田から松山空港行きの航空券を探さないことが日常になった昨今。とはいえ心の支えは依然として台湾での思い出で、ふとした瞬間に頭をよぎります。台湾での出会いが、対話が、感情が、モヤっとする現実の中を生きる心の中で、小さく燃え続けるでしょう。
そんな思い出の1シーンとして特に忘れられないのが、2019年の春に開催された音楽フェスティバル、大港開唱 Megaport Festivalで見た女性シンガーソングライター、イーノン・チェン(Enno Cheng) のステージ。当時は運よく入手した取材パスの恩恵で、メインステージの袖で、彼女が歌う横顔をじっと見つめていたっけ。
そんなイーノン・チェンが2022年3月4日にリリースした新作アルバム「⽔逆 Mercury Retrograde」を紹介します。
1.⼈如何學會語⾔ How the brain got language? feat.Chunho
2.新世紀的女兒 Daughters feat.Chunho
3.Speechless
4.天已經要光 Before dawn
5.親愛的 Dear,
6.Duludilida
7.最好的距離 Distance feat. deca joins
8.囡仔汗 Baby sweat album version
9.做風颱 Silver line
10.或許就變成書裡的風景The scenery feat. 阿爆(阿仍仍)feat.Chunho album version
11.無⼈看⾒的所在 In our place
2009年のデビュー以来、4作目のアルバムです。「海王星」(2011年)、「PLUTO」(2017年)、「給天王星」(2019年)に続き、天体にちなんで「⽔逆 Mercury Retrograde」とタイトルがつけられています。
「水逆」とは「水星逆行」の略語で、自転/公転の関係で水星が逆行しているように見える期間を言います。西洋占星術では「知性とコミュニケーション」を司ると言われている水星が逆行するということで、トラブルの起きやすい期間とも。
イーノン・チェンが今回アルバムのコンセプトとして据えたのは、水星が象徴する「コミュニケーション」。収録されている11曲で、コミュニケーションが持つさまざまな側面を表現しています。歌詞は台湾の標準語(台湾華語)ではなく、台湾語で歌われています。
前作「給天王星」に続き電子音が多用されている点もポイントで、台湾語の持つ温かみはそのままに、世界観をシャープにまとめた作品です。
2曲目収録の「新世紀的女兒 Daughters」は、日本語で「新しい時代の女の子たちへ」という意味で、さまざまな選択を負うときにも自分との対話を忘れないでというメッセージが込められています。冒頭の多重コーラスは爽やかで胸にすっと届き、空を駆けるようなシンセサイザーの音色で楽曲の世界に引き込まれます。音数は少なく透明感に溢れ、聞く人の背中を押し、心を解放します。
続く3曲目、「Speecheless」は、本作のアルバムプロデューサーChunhoによるインストゥルメント。2曲目で描いた大きな世界観で発散した感情やノイズを、蒸気のように鎮めます。
日本語で「夜明け前」を意味する、4曲目「天已經要光 Before dawn」は、冷たい怒りとやり場のない憤りに満ちながら光を見つめる主人公の視点で語られる一人称の曲です。全体的に抑揚は少なく、音程は低く、シリアスな雰囲気です。
8曲目、「囡仔汗 Baby sweat」は、2021年にシングルとしてリリースされている楽曲で、赤ちゃんを見つめる母親の目線、無防備で愛しい存在を見つめる感情が書かれた一曲です。本アルバムの中では比較的電子音は控えめで、ピアノやアコースティックギターの音色とともにイーノン・チェンの温かい歌声を感じることができます。
10曲目の「或許就變成書裡的風景 The scenery」。情報やレッテルに溢れる時代に、「自分という花」を咲かせることについて歌われています。原住民族出身のシンガー阿爆 ABAOとコラボレーションし、3種類の言語が使われ、まさに言語を超えてロマンチックに歌われます。阿爆が参加したことで楽曲にはソウル、R&Bのテイストが加わり、これまでのイーノン・チェンの作品では見られない表現を感じることができるでしょう。
本アルバムにはイーノン・チェンと親交がある南瓜妮歌迷俱樂部のギタリストChunho(何俊葦)がプロデューサーとして参加し、ボーカルプロデューサーにはシンガーソングライタ―であり、ラジオDJとしても活躍するciacia 何欣穗を迎えました。
また、彼女の父であり映像監督であるウェンタン・チェン(鄭文堂)、ベテランバンドであるザ・チェアーマン(董事長樂團)のメインボーカルであるウー・ユンチー(吉董)、歌手のツートーピー(豬頭皮)の3名が台湾語の指導にあたり、発音面でも慎重に作りこまれています。
deca joins、阿爆 ABAOなど旬なアーティストともコラボレーションした本作は、アルバムコンセプトの通り、様々な隔たりを超えて、優しい距離感でコミュニケーションをする様子を描きます。新しい時代、他人や自分自身との関わり方を築いていける可能性を感じさせる「⽔逆 Mercury Retrograde」は、聞き手の心をニュートラルにさせるでしょう。
おすすめは「新世紀的女兒 Daughters」。多重コーラスのところ、真似したくなるー。