(この記事はnoteに掲載した有料記事の無料部分を抜粋したものです。全文はこちらからお読みいただけます。)
<序文>
私自身は、アジアのアーティストとって、日本のメディアで話すことが必ずしもプラスになるとは思っていません。
それでも、この仕事を続けてきたのは、音楽に関わる人たちの「ことば」に心を動かされる瞬間があるからです。本業と母親業のかたわら、約7年にわたりアジアのアーティストや音楽関係者に話を聞き、その声をコンテンツとして読者のみなさんに届けてきました。
この記事では、アジアのインディーズアーティストへのインタビュー≒コンテンツ制作における成功と失敗が、どこで、どのように分かれているのか。そして、取材する側(日本のメディア)と取材を受ける側(アジアのアーティスト)が、どのように「成功」に導き、一過性で終わらない=サステナブルな関係性を築けるのか。そんな視点で考えていきたいと思います。いわゆる「発信する側」と「される側」の関係全般にも通じる部分があるかもしれません。
はじめに:サステナブルである必要があるのはなぜか
コンテンツがもたらすもの――アジアのアーティスト、関係者、そしてファンへ
インタビューとは、コンテンツを作るための材料を対象から取得する行動です。音楽だけでなく、映画、文学、スポーツ、あらゆるジャンルのメディアで行われており、その人の考え方や背景、言葉を記録し、広く届けることを目的としています。
アジアに限らず、インディーズ音楽の世界では「取材を受けること」が、アーティストにとって一つの目標となる場合があります。それは、自分の音楽や価値観が誰かの目に留まり、外部のメディアを通じて「社会的に認知された」と実感できるタイミングでもあるからです。
また、アーティストを支えるマネージャーやスタッフにとっても、「日本で取材された」という事実は、自身のPR活動が成果を生んだ証しとして可視化されるものでもあります。
インタビューが公開されることで、リスナーである私たちファンにも恩恵があります。
たとえば、あるアーティストについて「気になっているけどまだよくわからないな、知りたいな」と思っていたとします。インタビューが公開されたことで、「あの曲はこんな環境で生まれたのか」と楽曲の理解が深まったり、「この人はこんなメッセージを発信したかったんだ」と応援の解像度が上がったりする。言葉を通じて、ただの“リスナー”から“味方”へと関係性が変わることもあります。
それは、表面的な楽曲の良さだけでなく、アーティスト自身の人となりや覚悟に共感することで、「もっと応援したい」「次のライブに行ってみたい」という気持ちが芽生えるからです。
取材がもたらす影響と可能性
アーティストの言葉が可視化されることは、次のチャンスにもつながります。国内外のフェス主催者や関係者が取材記事を読んで興味を持ち、次のステージが開けることもある。つまり、インタビューは「今の活動を伝えるだけ」でなく、「これからを広げるためのきっかけ」にもなるのです。
また、こうした取材の発信はアーティストとメディア、そしてファンだけでなく、メディア自身にとっても意味のある営みです。
編集部の方針やリソースによって掲載可能な本数・内容が限られていたり、企画の通し方に工夫が必要だったりと、現場の事情はさまざまです。
それでも、継続的に取材や紹介を続けることがメディアの個性にもなり、結果的にアーティストにとって「このメディアに載ること」が価値となっていくケースもあります。
その取材はサステナブルか?
だからこそ、取材の設計や発信のあり方がアーティストとメディア、そしてファンの三者にとって納得のいくものであることが、とても重要だと私は考えています。
その納得感を生み出すのは、相互理解です。
アジアの音楽、と一口に切り取っても様々な側面があります。取材で得た知識は回数を重ねると増えていくし、知識を重ねた分だけ語れる視点が増える。その結果、届けられるコンテンツの内容にも厚みが出て、受け取るリスナーとアーティストの相互理解が深まる。それがビジネスにつながっていく。この循環をお互いの協力で作り出すのが、健やかなありかただと私は考えています。
日本からアジアのアーティスト、シーンに取材に行く人は少しつ増えています。しかしながら、常にアジアに目を向けていられる人は多くないはずです。だからこそ、「一回きりではなく、継続的に届ける」ということにこそ、価値があると信じています。
サステナブルじゃないとどうなるのか
もし、取材が一過性で終わってしまうとしたら。アーティストにとっても、「あのときだけ日本のメディアに注目されたけれど、それっきりだったな」という記憶として残ってしまうかもしれません。
また、せっかく取材記事を読んで関心を持ったリスナーが「その後どうしてるんだろう」と思っても、続報がなければ熱が冷めてしまう。メディアが持つ“橋渡し役”としての機能も、断続的になってしまいます。
一方で、たとえ頻度が少なくても、継続的に紹介される場があることは、アーティストにとって大きな信頼につながります。「自分たちの活動を長く見守ってくれる人がいる」「一回限りじゃなく、ちゃんと覚えていてくれる」と実感してもらえること。それはきっと、言葉の温度にも反映されていくはずです。
関わる人が、どれくらい継続して取材や発信を続けられるかが、今後アジアのアーティスト(そしてその背景)と日本のリスナーをつなぎつづける鍵になる。私はそう信じています。
だからこそ、今このタイミングで「アジアのインディーズアーティストへの取材と、関係性の持続性」について、改めて考えてみたいと思ったのです。
ただし、私は著名な音楽メディアの編集部に属しているわけではなく、そうした経験もありません(「Tapioca Milk Records」は個人で運営しています)。
そのため、本記事は「有名メディアにアプローチする方法」やノウハウを紹介するものではありません。
あくまで個人として、アジアのアーティストへの取材、コンテンツ制作というプロジェクトをどう見てきたか、そしてアーティスト側の立場であれば、どう歩み寄るだろうかという視点をもとに書いています。
そちらでよろしければこの先に進んで下さい。
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