みなさんこんにちは!タピレコです。
今回ご紹介するのは台湾・台北市在住のベーシスト・ケニーさん。グランジバンド「逆瓣膜 COUNTERVALVE」にてご活躍しています。また語学もご堪能で、日本のインディーズバンドの台湾ツアーについて取りまとめ・サポートをしたり、自らも日本ツアーならびにインドネシアツアーへ挑戦したりなど、積極的に海外と交流をしている一面もお持ちです。
そんなケニーさんに、これまでの国際交流のことやそして台湾のインディーズシーンをとりまく「あの」噂についてお聞きしました。当サイトならではの出し惜しみ一切なしのインタビューをどうぞ!
それでは本編へ。
- Interviewee:ケニー
- 食べるのが先、話はあと?
- 台湾インディーシーンの「ある噂」
- 国際交流は、日本のバンドとのつながりからはじまった
- 「アーティストビザが無いとステージに立てないってマジか!」
- ツアーが終わってから一週間落ち込んだよ
Interviewee:ケニー
Profile:台北市出身。大学時代に「逆瓣膜 COUNTERVALVE」を結成、ベーシストとして活躍。台湾国内のみにとどまらず、日本・インドネシアツアーなど国外でも活動の幅を広げる。また、日本のバンドの台湾ツアーのブッキング、通訳など台日インディシーンの交流にも高く貢献。現在は「逆瓣膜 COUNTERVALVE」のほか、「Mr. Dirty」「the Tic Tac」等、サポートメンバーとしての活動も多数展開中。
食べるのが先、話はあと?
(今回のインタビュー場所は:象園咖啡Elephant Gardenよりスタート!)
ーーこんにちはータピレコです!さて、ご自身の音楽活動のみならず、日本のバンドのツアーをブッキングしたりなど様々な方面でご活躍されているケニーさんですが、早速お話を聞かせていただけますか?
ケニー:いえ、先に食事を済ませて、話はあとにしましょう!
ーーあっ…ハイ…。そういえば昨日も台湾の同僚と食事中に仕事の話を切り出したところ「Eat First, Talk later」と言われました。
ケニー:そうです。これは台湾では常識です(笑)
ーー以後気を付けるようにいたします(笑)
ケニー:あ、そのスープうまそう!一口ください!
ーーどうぞ(笑)
(台湾へ行って東南アジア風のヌードルを食べたインタビュアーである。)
台湾インディーシーンの「ある噂」
(子どもから大人まで、とても面倒見が良いのがケニーさんのお人柄である。)
ーーそれではおなかもいっぱいになったところで、改めまして、まずは台湾インディーズシーンにまつわるある噂について教えていただきたいのですが…
ケニー:噂とはなんでしょうか。
ーー「台湾のバンドマンはお金持ちが多くてモテる!」という噂です。
ケニー:(笑)そんなことありません。誰から聞いたんですか(笑)みんな音楽活動のために普通に働いていますよ。もちろん、裕福な人もいるかもしれませんが…
ーー裕福かどうかは別として、やはり現実として日本と台湾の平均収入の相場には差があるにもかかわらず、台湾の楽器屋さんを眺めてみますと、楽器の価格は日本とそう変わらないように見受けられます。そこでまず台湾の若者はどのようにして楽器を手に入れているかということが気になりました。
ケニー:やはり最初は安い楽器を買ってから、出したい音やスタイルに合わせて、周辺機器をカスタムしていくパターンが多いと思います。また、日本へ旅行に行った際に日本の楽器屋さんに行って免税手続きをすればその方がお得に買えることもあります。
ーーケニーさんご自身はどのように楽器をはじめられましたか?
ケニー:高校の時に軽音部で友達からNirvanaの「Nevermind」を貸してもらって、いわゆる「ロック音楽」に興味を持ちはじめました。その後自分もリスナーとして音楽を追求していくうちに、台湾の四分衛 Quarterback*を好きになり、自分でCDも買うようになって。
その後四分衛 Quarterbackが出演するSpring Scream Festival*を観に行き、自分も「Spring Screamに出演したい!」とバンドをやろうと決めました。
*四分衛 Quarterback…1993年結成の台湾のロックバンド。
*Spring Scream Festival...台湾の春フェス。台湾南部のリゾート地「墾丁」にて開催される。
ーーご自身もそのステージに立ちたいと。
ケニー:そうです。そこで高卒の試験が終わった頃に、中学の友達とバンドを組むことになりまして。ベースは誰もやりたがらなかったので、僕がベースをやることにしました(笑)
最初に楽器を購入したのは、台北でも有名な楽器屋さんの金螞蟻*(Jīn mǎyǐ)です。新品で韓国製のベースとアンプを一緒に買いました。いろんなジャンルでなんとなく使えそうな感じの、コストパフォーマンスが良くて初心者向きのセットですね。
*金螞蟻…台北にある創業35年以上の老舗楽器屋
http://www.goldenantmusic.com/m/412-1623-13861.php
ーー日本でもギターの初心者セットがよく売っていますね。
ケニー:それからAPA*の音楽教室へ行って、楽器を習いながらバンド活動をはじめました。そのバンドが「逆瓣膜 COUNTERVALVE」で、メンバーチェンジはありましたが、それから10年以上も続いています。
*APA…台北市にある音楽関係の企業。APAは現在ライブハウスと音楽教室を展開している。
音楽教室:和平阿帕HepingAPA https://www.facebook.com/HepingAPA
ライブハウス:小地方展演空間apamini https://www.facebook.com/apamini/
ーーバンドを始めた頃に何か目標のようなものはありましたか。
ケニー:やはり一番の目標は、Spring Screamフェスに出ることです。大学1年生の時から「絶対Spring Screamのフェスに出演するぞ!次に行くときはオーディエンスとしてではなく、ステージに立つんだ!」と決意していました。
ーーバンドをはじめたばかりで、大型フェスに出る!と決意するとは…!なかなかの野心をお持ちだったのですね。
ケニー:台湾では、大学に入学したときに、日本で言うところの「オリエンテーション」のような授業があって、「大学では何をやりたいか」ということを紙に書くのだけど、そこにも【Spring Screamの舞台にたちたい!】と書いて提出しました。
ーー大学関係ないですね(笑)その目標は叶ったのでしょうか。
ケニー:いえ、大学2年、3年まではなかなかエントリーに通らなくて、でも4年生でやっと受かりました。その時の写真がコチラです。
国際交流は、日本のバンドとのつながりからはじまった
ーーケニーさんは日本語がご堪能で、日本のバンドとも多く交流していますが、日本のバンドと知り合ったキッカケはどのようなものだったのでしょうか?
ケニー:大学を卒業した後に、国際貿易の専門学校で日本語を勉強しました。卒業してからも、もちろん、自分のバンドを続けたいという想いはありました。しかし、日本語も少しは話せるようになったので、もっと台湾と日本の架け橋になれるような仕事をしたいと思い、日本企業の台湾支店へ入社しました。
さらに本業とは別にときどきライブハウスへ行って、通訳のサポートなどををしていました。音楽にせよ、仕事にせよ、国際的な架け橋になることにやりがいを感じています。
ーー最初に通訳をした日本のバンドのことは覚えていますか?
ケニー:最初に通訳をサポートしたのは仙台のハードコアバンド Break of Chainです。そこからつながりもどんどん増えていって、今思えば「日本語ができる台湾人がいる」という噂も口コミで広まっていったのだとと思います。
ーー日本とのつながりが本格化したのはいつからでしょうか。
ケニー:2014年に日本のJinny Oops!というバンドのカメラマンでもあるまゆみんさんから連絡をもらったことがターニング・ポイントです。それまでは直接の顔見知りではなかったのですが、ある日、英語でメールが送られてきて、内容をよく読んだところ、「日本の3バンドで台湾ツアーをしたいのだけど、言語面をサポートしてくれませんか?」というご相談でした。
ーーなるほど、日本側からコンタクトがあったのですね。
ケニー:そこでよく話を聞いたところ、そのバンドというのは大阪のJinny Oops!、東京のWho the BitchそしてThe Jungles!!!というバンドで。「自分から台湾のライブハウスにコンタクトしているが、言語面でコミュニケーションがうまくいかない。」ということだったんですね。そこで僕にヘルプ依頼をくれたようなんです。
ーーまだ顔を合わせたことの無い方のヘルプをすることには抵抗はありましたか?
ケニー:そこには、やはり、音楽の力がありました。3バンドの音源を聴いたところ僕自身が好きな音楽性だったことが、「ぜひ手伝いたい!」というモチベーションにつながったと思います。ですから、最初はコミュニケーションだけを手伝う予定でしたが、ツアーのポスターを作ったり、宣伝をしたりなど、ツアーとしてまとめるお手伝いもさせてもらいました。
ーーできることの幅が広いんですね…
ケニー:とはいえ、最初はわからないことも多かったです。たとえば、宣伝用のポスターは当初Excel*で作ったんですよ。どう頑張ってもExcelだとカッコよくはならないので、最終的には別の友達にお願いしてちゃんとしたものを作ったのですが……!
*Excel...Microsoft Officeの表計算ソフト。デザイン系のソフトウェア、ではない。
ーーExcelポスター!拝見してもいいですか。
ケニー:これです。本当にダサいんですけど。
ーーえ、エクセルでここまでできるって逆にすごい…!
「アーティストビザが無いとステージに立てないってマジか!」
ーーまた、やはり国境を超えたライブにはビザ問題もつきものですが、最初のツアーからビザ関係のことはご存知だったのでしょうか?
ケニー:いえ、知りませんでした。ライブハウスとコミュニケーションを取る中で、「アーティストビザを取得しないと、ステージに立つことができない」と教えてもらったおかげではじめて知りまして、教えてもらって良かったあああ!と安心しました。やはりせっかく来てくれたのにライブができないことが一番悲しいですから。
ーーそれをどのように乗り越えましたか?
ケニー:まずは日本側へお願いして、出演する3バンド、10人分のパスポートをあつめて、台湾の労働省に行って申請しました。
ーーそこでビザはスムーズに降りたのでしょうか?
ケニー:それが、パスポートの有効期限の関係で、10人中2人は台湾への入国自体ができないと言われたんです。そのことをライブ予定日の一週間前に知って。それから日本側に急いで新しいパスポートを手配してもらい、到着の午前中に新しいパスポートをもらって、そのままフライトへ!という流れとなりました。
ーーギリギリでも間に合ったからすごいと思います。
ケニー:やはりライブハウスのお陰だと思いますね。最初のツアーで挑戦したからこそ、わかったことです。まあでも、それがあったからこそ、色々パニックにはなったけど、準備期間も含めて楽しい思い出になりました。
ツアーが終わってから一週間落ち込んだよ
ーー実際に、日本のバンドと、顔を合わせてみていかがでしたか?
ケニー:それがですね……みんな本当に日本から来たんだ!という、なんとも不思議な気持ちになりました(笑)
ーー不思議。
ケニー:実際MVで皆の姿を見てはいたけど、本人が目の前に立つと「これって現実なんだ!」と実感がわきました。そして改めて「面白いことをやっているなぁ」と思いました。
やはり、実際に顔を合わせることで、「国境を超えて何かを作り上げている」ということについて実感も沸いたのだと思います。ツアー期間が大体1週間くらいだったのですが、正直その3バンドと一緒にいて、本当に楽しい時間で。帰ってから、一週間さびしくて落ち込んだんですよ。
そして、この3バンドとはご縁があって、今でもやりとりがあるいい友達関係が続いています。
ーーその後、日本のバンドとの関わりはいかがですか?
ケニー:2015年のSpring Screamに日本のバンドがたくさん来て、そのアテンドをしました。
ーーなんというバンドでしょうか?
ケニー:Qu(キュー)というバンドが、急(きゅう)に来た…
ーー本当に急だったんですか。
ケニー:いえ、ちゃんと前もって連絡をくれました。ただダジャレを言いたかったんです。
ーーなるほど(笑)
ケニー:その時は、移動のスケジュールにやや複雑なところもありました。1人は先に桃園空港から帰って別のバンドと一緒に高雄空港に行き、他の4人は別のバスで移動してフェスに行って~、というようなかたちで。
ーーふむふむ。アテンドもなかなか大変そうですね。
ケニー:そこで、個別にやりとりするのではなく、全体を俯瞰して見られるドキュメントが必要だと思いました。そうしないと、絶対にどこかでミスを起きると思ったのです。
ーー海外では予期せぬトラブルも多いですからね…!
ケニー:そこで、全体のスケジュールをまとめた表…いわゆる、「ケニー表」が誕生しました。ちょっと見てもらいたいんですが、AM・PMのそれぞれのスケジュールと、その日の宿泊先が書いてあります。これを台湾・日本で共有することで、時間が詰まっているところなども一目瞭然です。また日本のバンドとしても、入国カードに宿泊先を書かされるときなどにも使いまわしができます。
ーーやっぱり、できることが多すぎる…!
ケニー:この表ではありませんが、別のケニー表には、女子・男子の部屋をどう分けるかというところまで書いているものもあります。
ーーそして気配りも上手…!これは様々なところに応用ができそうですね。
ケニー:僕のバンドが海外でライブをするときなどにも、この表を使っています。
ーー日本にも何度か来られたことがあるんですね?
ケニー:そうですね。日本人の知り合いも増えてきたので、2016年以来、2回ほど日本のライブハウスへ出演しました。ただ、対バンイベントへ出演するのではなく、自分で企画をしたいと思いました。そこで、台湾と日本でそれぞれ同じコンセプトのイベント「Grunge祭(中国語:油漬祭)」を企画して、国際交流の場にしようと思いました。そのほうがより有意義だと考えたのです。
ーー日本と台湾の二か所でイベントを開催するということですね。
ケニー:そうなんです。その企画には、台湾ではお客さんが150人くらい来てくれたんです。
ーーひゃ、150人ですか!日本から見ると、なんとも大きな数字のように思います。ちなみに、ツアー関係のことはお仕事として受けているのでしょうか…?
ケニー:仕事としてではありません。でも、仕事の代わりに、友達が増えたこと、異国の友人たちとの友情や絆が深まったことがとても嬉しいです。もちろん、依頼されたことは仕事と同じ責任感を持って、しっかりとこなしていきたいと思います。でも、仕事としてはじめたら、こんなに最高に楽しくはなれなかったかもしれません。
ツアーのブッキングを経験することで、通訳のサポートをしていただけの頃よりも、より深いところで日本の方と関わりを持つことができ、多くの友情に繋がりました。
だから、これからもツアー関係の手配はお仕事としてではなく、友達と何か一緒に楽しいことをやろう!というときに経験を活かしたいと思っています。
後編「台湾インディーズ界のウワサその2」「インドネシアツアー編」は12/30更新予定