プロローグ
(前作「タピオカこぼれ話 高卒ニートはなぜ台湾音楽を好きになったのか?」より)
私がニートだったころの話だ。たしか2008年だろうか。実家の周りには何もなかったので、遊びに行けるわけもなく、暇を持て余していた。
「まあ、ビョーキを克服したばかりだし、今はニートを満喫していても許されるっしょ」
めちゃくちゃ自分に甘い読みである。
とはいえ実際のところ、当時私は大きな病気を克服したばかり。唯一自由にできることといえば、家でパソコンをいじり、世の中の情報を仕入れることだった。そして、とあるオンラインゲームをキッカケに「台湾」という国の存在を知った。
それから3年後、私は社会復帰(就職)を果たし、同世代のみんなと同じように、世間の荒波にもまれていった。それでもなお、頭の片隅にふわふわと浮かんでいた「台湾」の二文字。そして、20代も半ばを過ぎたころに、はじめての海外旅行で台湾へ足を運び、いわゆる「台湾大好き勢」となった。
そんな状況が変わってきたのは、Youtubeで知った台湾のとあるインディーズバンドー草東沒有派對 No Party For Caodongーから受けた「頭を100回殴られたかのような衝撃」。その衝撃波に乗せられ、熱に浮かされるように、2回目の台湾旅行で、台北のライブハウスへ導かれた。
「台湾と日本はこんなにも近い国なのに、こんなにも熱い現場のことが、どうしてなかなか日本に伝わっていないんだろう?」
そんな小さな疑問からはじまった、私のストーリー。
「お姉ちゃんは手元のカードを全て使っていくスタイルだから」
時は流れ、2019年。梅の花がほころびはじめたころのことだ。妹とLINEで会話をしている流れで、新しい仕事が決まったことを報告した。
ーー妹ちゃん、ちょっと聞いて!〇〇関連の仕事が決まったよ!
妹:すっげー!おめでとう!タピオカさんの手元のカードは全て使うところが、うまい事実を結んでるんですなあ!
妹は、私のことをときに「タピオカさん」と呼ぶ。もちろん「タピオカミルクレコード」から取ったものである。
ブログを書いていることを、家族に知られている方はどれほどいるだろうか?
私は、妹をはじめとした家族全員にブログの存在が知られている。※家族だけではなく、親しい友人や会社関係の方も知っている。
家族に自分の頭の中身が知られているということは、恥ずかしい一方、ぶっちゃけ楽でもある。
同じ両親のもとに生まれながら、全く異なるアイデンティティや視点を身につけ、一緒に育ってきた妹。そんな彼女の視点によれば、私は「基本的に手持ちのカードをすべて場に出し、勝負しながら成長していくタイプ」とのこと。
しかし、プロローグでご紹介したとおり、私は最初は何も持っていない高卒ニートだった。
では、「カード」はいつ手元に入ってきたのだろうか?
これまでのことを振り返るうち、私は一つの答えを出した。
ひょっとしたら、私の「カード」は、人との出会いによってつくられたのでは…?と。
というのも、私はもともと豊かな才能があったわけでもないし、努力が継続できるタイプでもない。むしろ「生きづらい人間代表」である。
そんな私が、自分のオリジナルのカードを作り、世に晒すことで楽しく生きられるようになった理由は、大きく分けて2つある。ひとつは「楽しく生きる」と決めたから。そしてもうひとつは、人との出会いが、私の内面を変えてくれたからだ。
ここでいう「人」とは、意思疎通がしやすい相手ーーつまり日本人のみーーに限った話ではない。
これから私がお伝えしていくことは、他の方から見たら大したことのない話かもしれないし、小さな変化かもしれない。
けれど、少なくとも私の人生においては、とても大事なターニングポイントだ。
そんな大事な思い出を、少しずつシェアしていけたらと思う。
<次回へ続く>