こんばんは。Tapioca Milk Recordsです♪
突然ですが、この記事をお読みいただいているあなたは、
やりたいことに気付いた日のことを覚えていますか?
私は、4歳のころに始めたとある行動が
これまでの人生を彩り、
そして、やりたいことに一本の線でつながっています。
今思えば、「やりたいこと」はずっと傍にいてくれたんだと思います。
ただ、活かし方がわからなかったり、忙しくて忘れていただけで
自分の核の部分にはずっと眠っていたんだと気付きました。
前回の記事は、やりたいことがあるのに一歩も踏み出せなかった自分に向けて書きました。
そして、今回の記事はやりたいことに気付かないふりをしていた自分へ書きます。
同じような境遇の方がいらしたら、何かしらのヒントになるかもしれません…!
人によっては引かれてしまうかもしれません。
それでも、やりたいことを思い出せないのはもったいないと思うので
ぜひ最後までお読み頂けたら嬉しいです!
前回までのあらすじ。
アラサー女性は、自分にできることを探し行動を続けた。
わかりやすく、「転職」という華やかな変化を追い求めていったけれど、
結局戻ってきたのは素の自分にできることで、
人と少しだけ違う耳と、文章を活かすブログ活動だった。
ここに至るまでものっっっっすごく遠回りをしたけれど、
この遠回りが無ければ今ここに書いている内容はもっと薄っぺらく、
継続できなかったかもしれない。
「台湾のまだ知られていない音楽を日本に紹介する。」
その目的のためにブログをTapioca Milk Records仕様に改装したあと
私はこれまで以上に文章を書き、音楽を聴くようになった。
Twitterも始めた。
私は今、この活動がすごく楽しくて幸せで、
何よりも集中できて、もっとやりたいと思っている。
今日のお話は、それよりもっと前の話、25年前に遡る。
タピオカこぼれ話 最終話♪ 私のやりたいことは〇〇〇にあった。
1988年。
とある田舎の地方都市で、私はいわゆる中流を極めた中流の家庭に生まれた。
(こんなところです。)
家族構成は両親と妹、そして私の4人。
中流家庭に起こりがちなイベントとといえば、
子供に何かしらの習い事へ通わせることだ。
似たようなデザインが立ち並ぶ建売住宅の一角で
わたしが4才になったばかりの頃、当時32才だった母はこう訊いた。
「そろそろ、習い事をしてみない?」
「うん。」
「ピアノとスイミング、どっちがいい?」
「…ピアノがいい」
当時のことを、今57才になった母親はこう振り返る。
「女の子の習い事といえばピアノでしょ。
それか、お父さんがプール好きだったから、スイミングもいいと思って。」
この二択で、どうしてピアノが良いと思ったのか理由はわからない。
だけど、ピアノが良いと自己主張した日のことは、ハッキリ覚えてる。
それはとても鮮明な、ほぼ人生最初の記憶だ。
(冬はこんなところです。)
それから間もなく、母親に連れられて、ピアノを習い始めた。
最初は幼稚園の隣にある教会で、グループレッスンを受けた。
まもなく、近所のピアノの先生に教えてもらうようになった。
その先生のレッスンでは、演奏の技術だけでなく聴覚も育てて頂いた。
最初は単音。
次は二つの音の和音。
三つの音を使った和音。
また、簡単なメロディの音を二小節くらい書き写したりした。
ドをどの位置に書けば良いのか、
小節はどのように区切ればよいか。
休符の書き方のコツ。
そんな小さなことから、少しずつ吸収していった。
私はピアノのレッスンと同じかそれ以上に、この時間が好きだった。
そうしていくうちに、絶対音感と言えるほど天才めいたものではないけれど、
ピアノの音は聞き分けられるようになっていった。
小学生になると、父がよくCDレンタルショップに連れて行ってくれた。
とりわけお気に入りはビーイング系のアーティストと小室ファミリーだった。
父の影響でThe Beatlesを、母の影響で松任谷由実の曲を聴いた。
音を聴くことは大好きだった。
音楽がどんな楽器で構成されていて、
どんな印象を持つか、言葉にしていくのが好き。
ひたすら、自分のなかであぁでもないこうでもないと検討ができる。
中学に上がると吹奏楽部に入部した。
顧問の先生は厳しかったけど、チューニングの指導の時、
音がうねっているる場合はピッチが合っていないとか
そういう知識を授けてくれた。
高校から会社員までバンドもやった。
椎名林檎からアニソンまで、ジャンルはさまざまで
クラシック以外の音楽を奏でることの難しさを知った。
団体行動をしてみて気付いたことがある。私には本当に協調性に欠けている。
この性格に付き合ってくれたバンドメンバーたちには感謝の言葉もないくらいだ。
今はだいぶ改善されてきたと信じたいが、私はそもそも会話が苦手である。
苦手なことをやると迷惑をかけてしまうから、
仕事以外ではごく親しい人以外に会わないよう生活を整えている。
そんな私が、台湾の音楽を好きになり、インディーズバンドを追いかけることで
たくさんの人に助けてもらうことのありがたさや
越えられない壁を克服する重要さを知ることができた。
そして、人よりも苦手が多い分、得意を活かして人の役に立とう。という決意もできた。
32才の母は、子供だった私に水泳をやるか、ピアノをやるか聞いた。
ピアノを選んだ結果、聴覚が育った。
忙しかったり、体調が悪くて
音楽を聴く時間や余裕がなかった日もある。
だけど、心の中では常に何かしらの音が鳴っていた。
私のやりたいことは、たった4歳の頃に自分で選んだ習い事から始まっていた。
あのとき水泳を選んで、体を鍛えていたら、
もっと健康的で病気のない人生を送れたかもしれない。
あるいは、水泳じゃなくとも体育会系の環境に身を置けば、もっとタフに働けて、
組織になじめて、生きやすいテクニックや立ち居振る舞いが身に付いたかもしれない。
でも、そんな人生はいらない。
他人の持ってるものをうらやむのは
全部終わりにする。
わたしはこれからも、たった2つしかない耳を大事にして、
音楽を聴いて生きていこうと思う。
Tapioca Milk Records ぐーちゃんより。
タピオカこぼれ話 全8話♪完